【海外の反応】「うわっ、うちって貧乏だったんだ」と思った子どもの頃の思い出は?

公開日: : 海外の反応, 文化

【海外の反応】「うわっ、うちって貧乏だったんだ」と思った子どもの頃の思い出は?

・ホームレスの人たちと一緒によく炊き出しを食べてたよ。6歳の子供にとっては食べ物に違いはないけど、振り返ってみると極貧だったな。
ずっと食事を取らずに、動けないほど弱って暖房の前で横たわってたことも思い出すよ。

 

・僕と僕の2人の兄弟は、住む場所を失わないためにお母さんが3つの仕事を掛け持ちしてた夏の間中ずっと、朝食はトースト、昼食はトップラーメン(インスタントラーメン)、夕食はポップコーンだったよ。

>>君のお母さんはすごいね。

>>ありがとう、僕は幸せ者だよ!

>>本当にそうだね!今は君の暮らしも良くなってるといいな。君の幸せを祈ってるよ。最高の人生にしてしまえ。

>>そして忘れるな、トップラーメンは美味しいということを。

 

・僕が9歳くらいの時、母が経済的に苦しんでるのは知っていたけど、どれほどなのかまでは分かっていなかった。感謝祭の日の2日前、お母さんが就職面接を受けた後に友達の家まで僕と僕の兄弟を迎えに来たんだ。
家に着くと、玄関先に箱が置いてあった。中には七面鳥や詰め物や野菜の缶詰やポテトなど、素敵な感謝祭の食事に必要なもの全てが入っていたんだ。家の中に入ってテーブルに並べた。箱の中には「楽しい感謝祭をお過ごしください」とだけ書かれたシンプルなカードが入ってた。
お母さんは座り込んで泣き崩れたよ。僕と兄弟は混乱してた。お母さんは僕たちに神の恵みだって言ったよ。お母さんには誰が置いていってくれたのか心当たりは無かったんだけど、感謝祭までの数日間、感謝祭の食べものを買う余裕がなくて、僕らが食べるのがホットドッグとトップラーメンだけになってしまうことを、どう説明しようか迷っていたらしい。
ある優しい誰かが、お母さんが困っているのを知って食べものを届けてくれたんだ。うちの家庭がどれほど貧しいのか本当に実感したのはその時だったな。決して忘れられない出来事でもあるよ。

 

・おもちゃを少しも持っていなかったよ。幼少時代の間ずっとね。1つたりとも。

 

・無料クリスマスディナーのために、クリスマスイブに氷点下の気温の中並んでたよ。またスパゲティを食べるよりはマシだったけどね。

 

・ペットボトルでサッカーしてた。

 

・電気を止められた時は、部屋の窓のそばに座って街灯の明かりで本を読んでた。

>>私もだよ。窓越しのほのかな明かりで読書するのがなんだか心地よかったな。

 

・奴隷だった。

 

・僕の16歳の誕生日、夕食に一つのポテトを四人家族で分け合って食べた。

 

・二言・・・石油 ストーブ。

>>ちくしょう・・・うちが貧乏なのは知ってたけど、石油ストーブで貧乏だと判断されるとは知らなかったよ。マジかよ・・・

 

・ケチャップサンドイッチ

>>オエッ

>>塩コショウサンドイッチも美味しいよ。

>>待てよ、俺もいつも食べてたんだけど・・・

>>今でも食べてるよ。

>>ケチャップがあったの?うちはパンサンドイッチだったよ。パンにパンを挟むんだ。美味しいよ。

 

・電気を止められてたから、懐中電灯を壁に貼り付けてた。

 

・みんながたくさん悲しい体験談を投稿してる中、これを書き込む自分が馬鹿みたいに思えるけど、俺は子供の頃、自家用飛行機が小さかったからって自分の家が貧乏だと思っていた。
とても小さな頃(4歳くらい)、母と俺は父の仕事の関係でよく飛行機で移動していたんだけど、その度にうちは貧乏なんだと考えてたんだ。その理由は、空港で他の人たちは巨大な飛行機に豪華な搭乗橋を使って乗っていたのに、うちの家族は小さな自家用飛行機のすぐそばまで車で乗り付けていたからなんだ。

 

・コカコーラがぜいたく品だった。

 

・お下がりの服を着なくちゃならなかった。俺が一番年上だったから納得いかなかったよ。

 

・三年生の時に友達が僕の家が貧乏だって言ってきたんだ。僕は「違うよ、お前んちが金持ちなんだよ。」って言ったけど、友達は「いや、うちは中流家庭で、お前んちが貧乏なんだよ。」って言ったよ。

>>俺は以前友達に逆のことを言われたよ。
「俺はすごく貧乏なんだ」
「いや、お前は上位中流クラスだよ、俺が金持ちなだけさ」

 

・強制退去させられそうだったから、年に一度引っ越してた。三週間毎日卵だけ食べてた。地面むき出しの車庫に住んで、穴を粘着テープで塞いだ子供用プールを風呂にして、お母さんはセメントブロックで支えたオーブン棚の上で調理してた。

 

・アルコール依存症の両親だったから、ずっと貧乏だったよ。

>>うちの家族は夕飯によくシリアルを食べていたのに、父のビールは常に冷蔵庫にあって、アルコール依存症なんだと気付いたよ。

 

・ベビーベッドの代わりにダンボール箱の中で寝てたよ。あと、初めての室内用トイレを買いに町に行った時の興奮は今でも忘れられないな。
うちの”トイレ”は園芸用のホースで吊るした、内側にシャワーカーテンを付けた金属製のゴミ箱で、小窓から出してたんだ。全部本当だよ。写真もある。

 

・母と僕はアパート周辺でよくお金を探してたよ。そのおかげで贈り物のバイクに乗って友達と数キロ離れたプールに行くことができたんだ。母はお金がなくて夜中によく泣いていた。そして僕にアタリ(ゲーム機)を買うために数カ月間あまりご飯を食べなかった。おかげで僕はプログラマーになることができたんだ。今僕は成功したプログラマーだよ。

>>今度はお母さんに贅沢させてあげて欲しいな。

 

・小さい頃、ずっとゲームボーイアドバンスが欲しかったんだけど、金銭的に厳しかったから両親はダメだって言ったんだ。だから紙にゲームボーイアドバンスを描いて、紫色にぬって、何時間もただボタンを押すふりをしてたよ。何も楽しくないよ・・・

 

・家族でグッドウィル(アメリカのリサイクルショップ)に行った時に、いい服を着たあるブロンドの少女が指をさして「あの貧しい人たちを見てよ」って言ったんだ。辺りを見回して、自分のことだと分かったんだよ。その時、他のお店に買い物に行ったことがなかったことに気付いたんだ。

 

・夕飯が塩ごはん

 

・夏の間、電気も通ってない森の中の放置された山小屋に無断で暮らしてたよ。

 

・フードスタンプで育った。

 

・8歳の時に僕のクラスで、持ち寄った食料の缶詰ごとにポイントを獲得できる、フードドライブ(家庭にある余った保存食を集め、貧しい人に寄付する運動)があったんだ。優勝するとピザパーティーをしてもらえるから、自分のクラスを勝たせたくて、お母さんを困らせてまで戸棚にあるたくさんのイモの缶詰を探させて、持っていったんだ。
それから3ヶ月経って、僕はフードドライブのことなんかすっかり忘れていた。ドアをノックする音が聞こえたので出てみると、政府の女性職員だった。どうやらうちが貧しい家庭のリストに挙がったらしく、食料を持って来てくれていた。
箱に入った缶詰を見ると、約半分の缶詰が自分自身が寄付したイモの缶詰だった。見分けることができたのは変なブランドの缶詰だったし、とても古くてラベルが剝がれていたから。その時に自分の家がフードドライブで寄付をする側ではなく、援助を受ける側の家庭なんだと分かったんだ。ずっと貧しいとは思ってたけど、どれほど貧しいのかを本当に把握したのはその時が初めてだったよ。

 

・ペーパー・タオルみたいな物は超贅沢品だった。

 

・牛乳を切らした時はシリアルに水を注いで食べてた。

 

・幼い頃に父と一緒にダンプスターダイビング(ゴミ箱漁り)に行ったのを覚えてるよ。お父さんが持ち上げてくれるとダンプスターの中を見ることができたんだ。もしソーダの缶やガラス瓶があったら、お父さんが僕をダンプスターの中に降ろして、僕が缶やビンを外に投げ、お父さんがそれを拾い集めるんだ。終わった時もお父さんが出してくれた。
クリスマスプレゼントとしてダンプスターダイビングに使う収集道具を貰ったよ。それを使って、僕らはより楽に缶を集めた。お父さんが僕に拾得器をくれたのは、ただ単に缶をより効率的に収集できるからだったんじゃないかと疑ってるよ。
当時はすごく楽しいと思っていたけど、今は家が貧しかったんだと理解してる。お父さんは僕が14歳の時に亡くなった。これらは最も大切なお父さんとの思い出の一部だよ。

 

・ここのレスを読んだけど、どうやらうちの家庭は貧乏ではなかったようだ。

翻訳元:http://goo.gl/8jN1Hd

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